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ここから永遠にー無限の数学的見解ー

レポート

7月3日に3回目の特別集会が開催されました。今回のテーマは、「ここから永遠にー無限の数学的見解ー」。数学者が「無限」に想いをはせるとき。

神は「永遠」である、「無限」である。 言葉としてはよく耳にするし、口にもする。けれど「有限」の私達が、その「限りなさ」を理解することは、そもそもできるのだろうか。数学者である、ジョン氏がその狭間を垣間見せてくれました。

例えば、ここに「無限のホテル」があります。客室はどうなっていると考えれば良いのでしょうか。氏が想像力の扉を開けます。 まずは「増えていく」と考えてみましょう。既に満室のホテルに、新しいゲストが到着する。その人に無限の彼方の部屋にどうぞとは言えない。既存のお客さんが少しづつ移って部屋を作っていくのかもしれません。1人だったら1部屋ずつ移る。5人だったら5部屋空くように移る。では無限の数のゲストが来たら?…総客室数は増え続けます。それが無限ということ?

でも、他にも方法が考えられます。今ある部屋を分けていこうとする考え方です。小さくすることで多くする。そんな無限の考え方もありですよね。

部屋だとイメージしにくいので、「線」で考えてみましょう。いまある長さの「線」から1/3だけ切り取っていくと考えてみます。前、中央、後の3つの部分で考え、中央の部分を切り取ります。数学的には、これは「カントール集合」と言うのだそうですが、これを繰り返すことによって、線の長さは小さくなりますが、線の数は大きくなります。そしてこれを「無限」に繰り返すと、「0(無)」の「線」が無限にあるという状態になります。

なんとも奇妙な「答え」です。もっと様々な考え方もあるはずです。でも、そもそも有限の私達が、無限の神の業(わざ)を完全に理解する事自体が、奇妙であり得ないことなのでしょう。

氏の数学的な理解は、神の神たる所以を、「解けない問題」を通して示しているようにも感じます。そして、その解けない問題自体に、感心し、唸り、楽しんでいる数学者の姿を見ました。それは、有限の人間が無限に興味をもつという面白さでもあります。

氏の脳内に展開される数式も理屈も、正直良くわかりませんでしたが、その楽しんでいる姿が、印象的です。「分かるから楽しい」から「分からないからこそ楽しい」。信仰と数学との接点なのかもしれません。

講師紹介

▼ゲストのプロフィール:

ジョン・パーカー師
英国ダラム大学数学教授